姫路城の歴史は、遠く1333年にさかのぼる。播磨国の守護職・赤松則村が、この地に砦を築き、1346年、則村の不貞範が四丁四方の城を造ったのである。 その後、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が黒田官兵衛の勧めに従い、毛利氏攻略の根拠地として、!581年、三層の天守を築いたのである。 1601年(慶長6年)に播磨領主に封ぜられた徳川家康の女婿・池田輝政が、8年の歳月と、2,430万人の延人員でもって完成させたのが、現在の五層七階の天守閣である。 そして、池田三代のあと入部した本多忠政のとき、その子・忠刻の室に千姫を迎え、化粧櫓や西の丸を築き、今日見られるような姫路城の全容を整えたのである。 姫路城は、標高46mの姫山を中心に、その周辺の平地もとり入れた平山城で、天守閣群を中心に二の丸、三の丸、西の丸を配し、 それら内的輸の外に螺旋状に三重の濠をめぐらせた壮大なもので、その城地も233ヘクタールに及んでいる。規模の大きさと同時に、 姫路城は、さまざまな防備と攻撃の工夫がなされている。城内は迷路のようであり、容易に天守閣へは近づけないし、 多くの銃眼や石落しが巧妙に配されていて、敵の侵入に備えている。 さまざまな縄張りの工夫と同時に、姫路城は、総塗り籠自漆喰仕上げの美しい城である。白壁の大天守閣は、三つの小天守を渡櫓で連立させ、 多重の窓も、武者窓、出格子窓、華灯窓、狭間と美しく配置させ、各層の屋根の千鳥破風と唐破風の均整のとれた美しい組み合わせなど、 姫路城が、天下の名城、城郭建築の最高傑作といわれる所以でもある。 北村 泰生 (きたむら たいせい) 略歴 1942年姫路市生まれ、日本大学芸術学部写真学科卒業後、 岩波映画製作所、姫路市役所を経て、1972年北村泰生写真事務所設立現在に至る。 日本写真家協会会員。出版に豪華写真集「姫路城」・「灘まつり」、ガイドブック「ひょうごの塔、 「姫路城」写真ガイド、「書写山」遊歩ガイド、究極の美「姫路城」、探訪「ひょうごの滝」 「ひょうご四季の花名所」、「ひょうごのサクラ・桜・さくら」、「ひょうごの天然記念物」、など多数。 |
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製造・販売 衣川製鎖工業株式会社
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